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夏の熱りが冷

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夏の熱りが冷


隣家に菊の愛好家がおり、毎年、夏の熱りが冷める頃、それだとわかる強い香りが漂う。
竹垣越しにのぞくと、黄や紫の厚物と呼ばれるまるっこい大輪の鉢が、剪定された松の木々の下に並んでいる。
その香りに気付いて思うのは祖父の今際のことだ。私がまだ十歳の頃、八十歳で死んだ明治生まれの祖父の下顎呼吸は、臨終東京機票の部屋で起こったあれこれの中で、記憶に鮮明に残っている。
その夜、夕飯を済ませてから私は弟といっしょに居間でテレビを観ていた。
向こうでバタンとドアが開き、父が飛び出して来て、大慌てで掛かりつけの医者に電話をかけた。
「先生、今すぐ来て下さい。親父の肛門が開いているんです」
飛んで引き返す父の後についていくと、部屋は嗅いだことのないような嫌な臭気が漂っていた。母が部屋の隅で何枚か重ねた新聞紙を折り畳んでいた。その中に祖父が落とした最後の大便が包まれていたと後で母が教えてくれたが、人の便ではないもっと得体の知れない臭いが部屋に充満していた。
血相を変えた父の兄が祖父の寝巻をはだけ、お父ちゃん死ぬなよ、と骨が浮いた胸にマッサージを加えていた。
祖父の面長の顔は青白く、もはや表情というものがなかった。黒かった眉毛は真っ白だった。その落ち窪んだ眼窩にある目は見開いたまま瞬きすらしない。腕はベッドの端からだらんとずり落ち、指先ひとつ動かなかった。
心臓マッサージを父が代わり、
「お父ちゃん戻って来い、戻って来い」
と薄い祖父の胸を重ねた両手で押し続けた。
おじいちゃんが死ぬ。
肺炎を患って入院し、一か月服務式住宅短期租約ほど前に家に帰って来ていた。もう大丈夫なのだと私は思っていたのだが、二週間ほど前から頻繁に親戚が見舞いに来るようになったし、ここ数日は父の兄弟が代わりばんこに寝泊まりしていた。おかしいな、と思っていた。昨日も一緒に晩御飯を食べたばかりだった。
しかし目の前の祖父はもう生きている人間の姿ではなかった。なにかの抜け殻のように見えた。
心臓マッサージをし続けている父のものすごい形相。死ぬな、の叔父の声。傍らですすり上げる母。
私は恐ろしくなって部屋を出て行こうとした。
「ここにいなさい」
背中に父の声がした。
振り向いた私をみた父の目許には重く抗し難いものがあった。
やっといつもの先生が到着し、急いで診察鞄から取り出した聴診器を祖父の胸に当てた。
「あかん、手遅れやったか」
と口元を歪めた。
父はああ、と呻き、足をさすっていた叔父も、長い溜息をついた。
祖父は死んだのか。息を吹き返す可能性はこれっぽっちもないのか。
「おじいちゃん、おじいちゃん」
私は思わず叫んだ。
その声に反応して くれたのだと思った。祖父は、ときどき頭をのけぞらせ緩慢に下顎を動かし始めたからだ。スローモーションのように口の開閉する様は、死にかけた金魚が水面まで浮かんできて口をパクパクさせるのに似ていた。
私は祖父が何か言いたいのだと思い、耳を口元まで近づけてみた。おかしい、声が何もしない。
「おじいちゃん、何も言うてへんよ」
と父を見上げた。
「何回もおじいちゃんって呼んであげなさい。そうしたら何か言うてくれるかも知れん」
私は何度も呼んだが、返事はなかった。顎の動きはぎこちなくなるばかりで、やがて私が三回ばかり息をする間に一回ぐらいとなり、最後にふっと息を吐いたような音がしたかと思ったら、顎はそれきり動かなくなった。
先生は見開かれたままの眼球にライトを当てると少しだけ首を振った。

自治会長をしていた祖父の葬儀には大勢の弔問客が訪れた。祭壇は白と黄の菊で埋め尽くされていた。花から解き放たれた香りが式場いっぱいに広がり、その強く慣れない匂いに私は少し頭が痛くなった。我慢できなくて式の間座ったままずっと体を左右に揺らしていた。
ふと見上げると、祭壇の真ん中に、黒紋付の柔和な表情をした祖父の遺影があった。思い浮かぶ死ぬ前の異様な顎の動き。ひょっとして祖父は何か言いたかったのではなかろうか。もしかすると苦しかったのではなかろうか。自分も埋線邊間好あんな風にして死ぬのかなと。
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